取材させていただいた島津工務店社長「島津実奈」さんは、本当に誠実で心配りが大変細やかな方です。大阪に大台風が上陸したとき、被災した取材者は彼女に助けてもらえたのですが、そのときに感じた優しさと仕事への絶対的安心感がとても印象深くて、その人柄の秘密を知りたくて、今回、インタビューをお願いしました。
そこで伺えたお話はドラマのような実話であり「人生を滋味深くするエッセンス」が、滴り落ちるほどにたっぷりと含まれたものでした。
・経営において本当に大切なこと
・愛情や徳は引き継がれること
・自分らしく生きることの大切さ
などなどについて、
巷に並ぶ書籍等などでは、なかなか語られることがない「経営者とその家族」のリアルなエピソードを特別に披露してくださっているので、きっと、あなたも膝を打ったり、共感したりするところがあると思います。
是非、読んで感じたところをご自身の人生に取り込んで活かしてみてください。あなたの人生を豊かにする一歩を踏み出せるのは、自分の足だけですから。
それでは、なかなか思い通りにはいかなかった彼女の人生。じっくりとお付き合いくださいませ。
島津工務店を引き継がれたきっかけ。
若かりし頃の島津さんのお父さまは、大阪の船場という町で、兄弟5人で一つ所に暮らしながら傘屋を営まれていたそうです。そんなある日。新聞を見てお父さまは「これから日本に建築ブームが来る!」と予見して実家から独立。「島津工務店」を創業されます。その後、予想は大当たりして高度成長期と共に大きく会社は成長しました。
現在、2代目として、有限会社「島津工務店」を営む 島津実奈さんは、みんなから「姐さん」と親しみを込めて呼ばれるほどの情深い方でいらっしゃいます。
島津さん(以後、文中では姐さん)は、元々看護師になりたかったそうですが、お父さまが病院勤務に反対されたことや、御自身が20歳のときに病気になったこともあり、その道は諦められて、その時々の流れやご縁からいくつかの職業を経験されます。この時代のエピソードも、弱い人に寄り添う「優しさ」や、傲慢な人には対抗する「強さ」が垣間見えて面白いのですが……今回は割愛します。
その後、お母さまが病気をされたことから実家に入って献身的に看病を専念されますが、しばらくして、お母様はお亡くなりになられます。
看病中より、お父さまからは「会社を継いで妹たちとやっていけ」と言われていた姐さんですが、「もう本当に全てを込めて看病したし、母を亡くしてしまったし……疲れたので、しばらく休んでやりたいことを探したいなぁ」と考えていたそうです。
そこに突然、税理士さんがやって来て、こう言われます。
「社長をやってください」と。
そして、島津工務店の代表取締役としてお父さまから経営を継いでいく展開へ…。インタビューは、社長業を引き継ぐこの場面から始まりました。
3年後、晴れて自由の身…のはずが…
1年目は最初、ほんまに座っているだけでした。私、ずっと会社でネットゲームしてたんです(笑)。私宛にかかってくる電話だけはとりましたけどね。
やっぱり「人の人生どないしてくれんねん」という怒りが私の中にあって、どうしても収まらなかったし、社長になりはしたものの、お父さんの勝手さにずっと腹も立ってましたし。でも、そうは言っても2年目になると、やっぱりしなきゃいけないことも増えて来るんですよ。
そこへ、お父さんがね。歳を取ってきたことに加えて、お母さんを亡くしてひどく気落ちしていてね。そんなお父さん見てたら「この人、自殺するんちゃうかな」なんて思うくらいでね。
そうやって、そうこうしているうちに、ある時、私。無性にお父さんに腹が立ってきて、
「(亡くなったお母さんは)もう帰ってけえへんのに、いつまでも泣いててどないすんねん!もっとシャキッとし!!」
と言ったら、「わかりました!!」って、お父さん元気になって(笑)。
それで、お父さんも元気になって来たし、あとは、妹夫婦に会社を渡したら私の役目もおしまいだと思ってね。あと2年だし、一緒にやってみるかと思って頑張ったんです。
そうして社長に就任して3年経って、「あぁ。これで自由の身か…」と思ってた時に、また税理士から電話がかかってきたんです。
税理士:「社長の印鑑をいただきに伺いたいのですが…。」
姐さん:「何の印鑑?あぁそっか、もうこれで私、役員降りるしなぁ。」
税理士:「いえ、そうではなく…」
姐さん:「それじゃなかったら何なんよ?」
税理士:「妹さんの解任です…。役員の解任に印鑑が欲しいのです…」
姐さん:「えぇっ!?」
って。ほんまに寝耳に水ですよ。
「次は妹夫婦が社長するはずやんか……いったいどういうことなんや?」って混乱していたまさににその瞬間にエレベーターの扉があいてね。父が降りてきて言うんですよ。
「お前、悪いけど、一生社長やっとけ」と。
もうねえ。急やし、説明もないしで、「3年でいいって言うから社長を務めたのに、一生やっとけってどういうこと?」って。だいぶ抗議したんですけど、税理士さんも「会長の意向です」の一点張りでね。それでまた社長を続けることになったんです。