父の愛情。助けてくれる周りの人々。
大本
姐さん:
私。社長を務めていた3年間は、「月給5万円」やったんです(笑)。父から「社長の仕事は会社にお金を貯めることや」と言われていたんですけど、さすがにその金額はないやろうと(笑)。
「給料少ないで」って思っていることを伝えたら、ある日、お父さんがすごいニコニコして「値上げしたるわ」って。それで「なんぼ?」って聞いたら、「8万円」って(笑)。それでお父さんは8万円くれたんですけど、「まだ安い!」って言ったら、「よっしゃ。しゃあない。10万円あげるわ」って。
こんなやり取りする中で、私も会社のこととかわかってきてね。お父さんも色々と考えているんやろうなぁと思いましたね。
そうやって工務店の仕事を始めたんですが、やっぱり仕事って波があるんよね。私がやっても大したことはでけへんかったから、父親も安心でけへんかったと思います。
で、そんなときのある日のこと、うちの会社にすごい大きな仕事が来たことがあってね。父が仕事から帰ってくるなり、「お前に好きなもん買うたる」って言うんですよ。私。ビックリしてね。生まれてこの方、楽器以外で高価なモノなんて買ってもらった経験がないから、
「この人、大丈夫かな……?.」って、思ったくらいで。
そうしたら、父が
「お前があの時お母さんの世話してくれへんかったら、もっとひどいことになってたやろうから」って言ってくれてね。でも、その後に続いて、「税金で持っていかれるのも嫌やから、お前に好きなもん買うたる」って(笑)。
大本
姐さん:
でもね。そうこうしているうちに、父親のボケがひどくなってきたんですよ。お得意先にわけのわからないことで電話をかけたりしてね。
そんなことが続いて「これはもう会社続けて行くの無理かもなあ」って思った時に、お得意先から仕事がまた来たんです。それも、すっごい大きな仕事だったから、
「ちょっと、これは、もう無理やわ」
って、私、思ってね。そのお得意先の社長のところに行って、こうお伝えしたんです。
「すみません…。私、何もわからないし、何も出来ないのに…。これまで本当にいっぱいよくしてくださってありがとうございます。けど、もう仕事は無理なんで、ウチを切ってください。」って。
そう言ったんですけど、先方の役員が3人揃って、私にね、
「別に何も大したことは起こりませんので大丈夫です。お姉ちゃんは、会長の面倒だけ見てくれてたらいいんです。後は僕らがぜーんぶ ちゃんとしますから。仕事を受けてください。利益とってください。」
「お父さんやお母さん、お姉ちゃん(島津さん)に受けた恩に比べたら、僕らがこんなことするのはまだ足らんくらいです。」
そんな風に言うてくれはったんです。本当にありがたくってね。でもそれで、「仕事、どうしよう…」と思っている時に、ちょうど妹が難病にもなって……。私、もう困ってしまってたんですよ。
そこへちょうど、一緒に仕事をしている設計士の先生が電話をかけてきてくれてね。事情を話したんです。そうしたら、
「はぁ?お前、誰がついていると思ってんねん」って。
「親父が会社を始めた云々じゃなく、今の島津工務店は、お前が大手を振って収入を得られる大きなひとつの手段なんや。みんながついているんやから、やったらええねん。ほんでから、他のこともやって、そっちが忙しくなってきたら、ちょっとずつ工務店はフェードアウトしていったらええんや。そやから、仕事のあるうちはやれ。何でも相談にのったるから、やれ!」
って、言うてくれたんです。
こうして、私はどんどん建築の仕事に巻き込まれていくことになるんですけど、「もう無理かな」と思っても、この先生は「仕事辞めるな」って言ってくれたり、しんどくなっても、いつもこんな風に励ましてくれるんですね。
私は、本当に、取引先や周りの方々にこの商売を続けさせてもらっていますね。
「体、壊しますよ! レトルトのカレー食べます?」
大本
姐さん:
そうですね。
特に先ほど話したお得意先は、「あの時のお父さんお母さん、姉さんのお心遣いがあったから、今もうちはこうやって商売を続けていられます」なんて、いっつも言ってくださってね。そのお得意先さんが言う、あの時のことはいまでもよく覚えていて…
ある晩に家族で別荘に行っていた時のことです。
そのときに、このお得意先さんから大きな仕事をいただいたんですよね。ほんまに大きな仕事やったから「これでウチも楽になる」ってね、みんなで喜びました。
当時、薬局が勝山通りにあって、そこで日用品をよくまとめ買いをしていたんですね。
母親を軽自動車に載せて、その薬局に行ってシャンプーを買おうとした時に、母親がいつものより高いシャンプーを手に取って、「これ買いや」って言うんです。
「でも高いやん」って、私が言うたら、「ウチもようやくこれで楽させられるから」と言ってそのシャンプーを買ってくれてね。私。それがすごく嬉しかったんです。
ですけど、それから1週間も経たないうちに、そのお得意先から電話がかかってきて、
「すみません、ウチつぶれるんです」って。
「朝から何にも食べてません」
なんて言うから、私、
「体壊しますよ!レトルトのカレー食べます?」
って言って、カレーを出したんです。そうしたら、泣きながら食べてはって。ウチって昔からそうで、食べてなかったら食べて帰りっていう店やから。
そんな中で「カレー食べていきます?」なんて心遣いしてくれたのって、絶対に姐さんところだけだよ。
姐さんの優しさが、その社長さんの胸に沁みただろうねえ。泣くよねえ。
大本
姐さん:
だって、お腹すいたら何もでけへんやん。
大本
姐さん:
まぁ、そりゃあいろんな人がいたよ。ウチも請負のお金の中から下請けの会社にお金払わなかあんから、ジャンプできませんと言う人も中にはおったし……だから、父親は突然夜中に気が狂ったかのように「わしはもう終わりや!死ぬ!」と言って飛び出したりね。
でも、その時、母親は強かったよね。「あんなん 死ぬ勇気なんてないで。会社はお母さんが絶対に潰せへんから」って。
お母さん。サラリーマンの家に嫁いだはずなのに、急に建築屋になって。しかもお嬢様育ちやのにね。「オカンすごい強くなってる」って、あの時はびっくりしたね。
姐さんが、なんでこんなにも、人に優しくて、仕事に誠実なのかの理由がわかったような気がします。島津家が、代々つないで来たし、つないでも行く、その家らしさ、その人らしさってすごいですね。
大本