やっぱり「人が好き」なんだと思います。(1)

成功の奥にあるもの

とても繁盛しているお米屋さんがある。神社のようなそのお店の屋号は、「トラとウサギの茶飯事」。トラとウサギは、店主と奥さんの干支である。「お米」が美味しいのはもちろん、厳選された「ご飯のお供」もまた絶品だ。

店主である『城敏之・直子』ご夫妻の人柄を慕って、店には全国から人が訪れる。店主自らが「ホンマに辺鄙なところですよ!」と言う場所であるにもかかわらず、いつも誰かの笑い声が絶えないほどお客さんは来るし、メディアの取材も来る。

「この繁盛の秘訣は何だ?」

その答えが知りたくて、インタビューをお願いしたが、実際は私が想像していたような成功物語と全く違っていた。伺えた話は、人生の行く先々で変化を余儀なくされながらも、腐ることなく常に楽しめることを見つけては、自らを明るい場所へと運んで来た男の人生だった。是非あなたも『城敏之』さんの言葉に耳を傾けて欲しい。人の成功をコピペして一生懸命に真似したところで決してうまくはいかない理由がよくわかると思う。

高知県での長年にわたる米屋事業の実績も生活も全てを捨てて、家族だけを連れ、生まれ故郷である大阪府堺市へ帰って来た城さんが、奥さんと「トラとウサギの茶飯事」を創業するところからインタビューは始まった。

変えないこと、変えるべきこと

城さん:
この店をつくるときに、僕らがやるのは「米屋さん」なんで、お客さんが覗いてくれやすい店をつくろうと思ったんですよね。高知県から堺市に帰って来るまでは毎年、香川県の金毘羅さんに家族総出で初詣に行ってましてね。その時に歴史ある日本家屋を見ては「こんな米屋やったら、昔の百姓問屋みたいで格好ええやろなぁ」って常々思ってたんです。

でも、実際にこの場所(大阪・堺)でさぁ始めようとした時、「あんなんじゃ暗いぞ。格式は高いけど、俺、そんな店行くかなぁ…」って思ったんですよね。「米屋は、やっぱりフレッシュ感と言うか、清潔感が必要や!」って。そうした方が、絶対にお客さんも自分も入りやすいって考えました。

ただ、お茶屋さんとかの「昔ながらの専門店」って、何百年も続けてきた中で、変えないといけない部分と変えちゃいけない部分が取捨されてきて出来た「色」があるんですよね。だから、そういう店は「構え」を変えてはいけないと思うんです。求める人に長年きちんとそれを渡し続けて行く責任があると思うので。

とはいえ、自分たちは新しく始めるし、「ここで何をしたいか?」というと「好きなお米、おいしいお米を食べてもらいたい!」ってことだったんですよね。じゃあ、そのために氣軽に入りやすいお店っていったら何だ?って考えていったらね。それは、間口が広くて、太陽光が入って…ということで、あれだけデカイ扉をつくったんです。

そんなことなんかも含めて、やっぱり(高知から)こっちに帰ってきて開業するまでの半年間、ほんまに色々と考えましたね。最初は八百屋さんをやろうと思っていたんです。

米屋は辞めるつもりでした

堺市に帰って、米屋さんをやることは決めていたんですか?

大本

城さん:
いやいや、決めてないですよ。

え!じゃあ、こっち(大阪)に帰ってきたときは全くの白紙だったんですか?

大本

城さん:
そうなんです。「もう米屋辞める!」って言って、こっちに帰ってきたので(笑)。それで、最初は八百屋さんをやろうと思ってたんですよ。(高知から大阪に)帰る寸前に野菜ソムリエの資格をとっていましたし。高知には13年もいたので、友人はじめ、たくさんの生産者さんとのつながりが多かったんですよね。

高知は当たり前のように地産地消で、旬なモノ、採れたてをそのままいただける環境。しかし、県内の良い品々を県外の方々に知ってもらえる場がその当時はさほどなかったこともあり、こっちに持ってきてそれを売ることができたらな…という想いがあったんですね。

それと、高知で米屋をやっていた時、何度か高知産のものを持ってきて、大阪で販売したこともあるんですよね。「美と健康フェスタ」とか、いくつかイベントがあって。それを2、3回やったときに、「いつか、高知産のものを“ぐるっと”まとめて売りたいなぁ」なんて思ってたんですよ。得意先や取引先も多かったしね。

堺に帰ろうと決めた後に「野菜ソムリエの資格を取ろう」と初めて思ったんですか?

大本

城さん:
そうなんです。直後やったかな!?嫁からの提案で二人で取得したんです。

それで、こっちに来て「どうしようか?」と思っていた時に、何人かに相談したら「八百屋に行っても作業は学ぶけど、どうなんやろ?生産者の所に直接足運んだり、独学で学んだらええんちゃう?」なんてアドバイスをいただいたり、スーパーの野菜関係の売り場にアルバイトに行ったらいいんかなぁ…とか考えたりしましたね。

あとは時間がたっぷりあったので、嫁さんと商工会の無料のセミナーに行ったり、堺市を自転車でぐるぐるぐるぐる回ったりして、半年過ごしました。

それで、ある日。嫁さんと「これから、どこで何(の商売)をやろうか…」と話をしていた時に、「私、ずっと米屋やったから米屋のことしか知らんし、今さら他のこと言うても…」って言われて、そこから「パン!」ってスイッチが入ったんです。「そうか!そうやんな!」ってなってからは早かったです。すぐに物件も色々と見始めて。最初は店舗がいいかなぁと思っていたんですけど、店舗は(家賃が)高くて(笑)。でも、お米屋さんって倉庫やし、倉庫なら「あるやん」って。元々、今のお店のある場所は知っていたので、ここにしようかと。

こんなことってあるんやなあ

城さん:
店のロゴを作成するにしても誰に頼ったら良いか全然分からなかったんですよ。そうしたら不思議にまた色々ご縁が出来たんです。

(大阪に)帰って来て早々に子供の自転車がパンクしたことがあったんですよね。で、すぐ家の近所に自転車屋さんがあったので、持っていったんですけど、その自転車に、(子供が)高知で通っていた「土佐女子」という中学校のラベルが貼ってあったのを店長さんが見つけ、「あ、これ土佐って…お客さん、高知から来はったんですか?実は私も高知で…」って、偶然にも同郷の方でね。そこから結構仲良くなって、今、僕が乗っている自転車も作ってもらったりして、ずっとお世話になっているんです。

で、当時は僕、地元に頼れる友達がいなくて、その自転車屋さんに「ロゴのデザイン出来る人知ってる?」って相談したら、その自転車屋さんの友達に木工をやっている人(のちに分かったんですが、その木工屋さん、当店から歩いて100mほどにある大工屋さんなんです)がいて、またその友達にデザインやっている人がいて…と、紹介してもらったんです。

それで、その人に「レイアウトも、白の壁に木を立てて…っていうものを考えてるんです」ってお伝えしたら、「もし、イメージがあるなら具体的に写真とか見せてもらえます?」という話になったので、後日打ち合わせの時、Pinterestにあった画像を見せたら……なんとですよ!その人も僕と全く同じ写真を見せてきて!「あ、もう、この人に決定!」って直ぐに決めました(笑)。「こんなことってあるんや」って思いましたね。コンセプトは何か、店の導線のことやレイアウトなどなど、店舗について理解されている人だったので、あとはパンパンパンって話が進んで行きました。

⇒vol.2「営業しない」を可能にする理由は…